* * *
フランスから日本までのフライト時間は約十二時間。
普段ならば睡眠をとったり、機内で仕事をしたりして、
その長い時間を、それなりに有意義に使う術を知っている鏡夜も、
流石に今回ばかりはハルヒのことが心配で、
夜の八時過ぎに成田空港に着いた頃には、
フライトの間ずっと感じ続けた焦燥感に、全身ぐったりとなっていた。
しかも、成田に到着してすぐにハルヒに電話を入れたというのに、
いくらコールを鳴らしてみても一向にハルヒは電話に出ない。
まだ仕事中だろうかと弁護士事務所の方に問い合わせれば、
今日は早々に事務所を後にしたという。
一体、何事かと慌てて車を飛ばして、ハルヒの部屋に向かったが、
玄関ベルを鳴らしても出てくる気配が全くないので、
仕方なく合鍵を使ってドアを開けると、
部屋の中は、照明がついていて、奥からは微かにテレビの音も聞こえる。
「ハルヒ?」
おいおい。
部屋の奥へ進んで、そこにいるハルヒの姿を見て、
鏡夜は一気に脱力感に襲われてしまった。
「……ハルヒ……お前な……」
ハルヒは、部屋の真ん中に据えられた炬燵入ったまま、
そのまま絨毯の上に身体を横たえてすやすやと眠っていたのだ。
横になったハルヒの身体のすぐ近くには、
炬燵の掛け布団に半分埋もれるようにして、
携帯電話が落ちているのが見える。
いつも携帯電話はマナーモードに設定しているハルヒのことだ。
布団が振動音をかき消して、着信に気付かなかったのだろう。
「おい。ハルヒ起きろ。
『こんなところで寝てたら風邪をひく』んじゃないのか? おい」
鏡夜は炬燵の上に、フランス土産の包みを置くと、
屈みこんでハルヒの肩を揺すった。
「ん……」
薄目を開けたハルヒは、しばらくぼんやりとしていたが、
鏡夜が何度か彼女の名前を呼びかけると、
眼を手の甲で擦りながらゆっくりと上体を起こした。
「起きたか?」
余りにぼおっとしたままなので、
鏡夜は唇が触れるくらいに近く自分の顔を近づけて、
彼女の顔を覗き込んでやった。
すると、ハルヒはようやく目が覚めたようで、
わっと小さく声を上げ、身体を引いた。
「きょ、鏡夜先輩! い、いつ、帰ってきたんですか!?」
「今さっきな。成田に八時過ぎに着いて、すぐに電話をしたんだが、
お前が出なかったから、勝手に入らせてもらった」
そういいながら鏡夜は、ハルヒの前髪を指先でかき分けて、
彼女の頭を優しく撫でていたが、
その時、彼女の目の下に薄っすらと隈があることに気がついた。
よくよく観察すると、ハルヒの目は充血して真っ赤になっていて、
全体的にかなり疲れているように見える。
「す、すみません。今、お茶を入れますから」
「……いや。そのままでいい」
立ち上がろうとしたハルヒの肩を押さえ込んだ鏡夜は、
ハルヒの背後に回って、
自分の腕の中にハルヒの身体を抱きかかえるように腰を下ろすと、
彼女を背中からぎゅうっと抱きしめた。
「鏡夜先輩!? あ、あの?」
「向こうにいる間中、ずっとお前のことが心配で、
帰りの飛行機でもほとんど休めてないんだ。
だから、少しこのまま大人しくしてろ」
「心配ってどうして……」
「お前が思っていることを俺にはっきり言わないからだ」
携帯電話での不安そうな声も。
付けっぱなしのテレビも。
床に倒れるように眠っていた彼女の姿も。
憔悴しきった表情も。
「お前が不安に感じていることを、
この俺が気付いてないとでも思ったか?
それとも、お前が素直に心を明かせないほど俺は頼りないか?」
「頼りないなんて、そんなことは全然……」
「じゃあ、思ってることがあるならはっきり口に出して言え」
「……」
抱きすくめられた直後は、驚いて肩に力が入っていたハルヒも、
鏡夜がすぐに解放する気がない事を悟ったのか、
身体の力を抜いてくれたようで、
鏡夜の腕や胸にかかる彼女の身体の重みが心なしか増した気がする。
「言いたいことというか……私はただ、怖かっただけで……」
「怖い?」
「先輩が……私を……置いていってしまうんじゃないかって、
環先輩みたいに、突然いなくなってしまうんじゃないかって、
すごく怖くて……ずっと怖くて……、
先輩がフランスに行っている間中、ずっと夜、眠れなくて」
ハルヒは小さく身体を震わせて、
自分の胸の前に回された、鏡夜の腕を握り締めてくる。
「だから本当は、出張のことを聞いたときから、
フランスになんて行かないで欲しいって。
いつも、私の傍にいて欲しいって、ずっと思ってただけなんです」
大事な人と一緒に居られない寂しさ。
その人と別れてしまうことへの怖さ。
二人でいることの幸せのすぐ裏側にある、
暗く辛い感情は、鏡夜にもよく理解できるものだった。
「すみません。そんなこと出来るはずもないのに、
自分、少し我侭ですよね」
「確かに、お前をいくら不安にさせるからといって、
海外に一生行かないというわけにもいかないしな」
「……だから、こんなこと言うと、
子供っぽい甘えだって思われると思って、
だから言いたくなかったんですよ」
傍に居て欲しいと素直に願うことよりも、
どちらかといえば、今のように拗ねた態度をとることこそが、
子供っぽいと言えるような気もするんだが。
ハルヒの態度が余りに愛らしいので、
鏡夜は自然と笑みを浮かべてしまう。
「だが、今日は『クリスマス』だからな。
やっとお前が俺に多少甘えてくれたことだし、
クリスマスに願ったことは出来るだけ叶えてやらないとな」
「それって、先輩がサンタクロースってことですか?」
いかにも似合わないと言わんばかりの様子に、
鏡夜はハルヒの頭を軽く小突く。
「サンタかどうかはともかく、
もともと、俺はどんなに無謀なこと言われても、
それを実現してやることが好きなんだよ」
かつては。
親友の突拍子もない言動を完璧に実現することや、
三男という立場から鳳の後継をめざすために、
父から与えられた任務を期待以上に全うすることにやりがいを見出して。
「それは出来ないと悔しいからですか?」
「まあ、それもそうだが……」
今は。
この愛しい恋人の我侭を実現してやることが嬉しくてたまらない。
(もちろん甘えてくれることが前提ではあるが)
「まあ、それはともかく。ハルヒ。それを開けてみろ」
「それ?」
鏡夜に言われて、ハルヒはやっと、
炬燵の上に置いたプレゼントに気付いたようだ。
「土産を買ってくる、といっただろう?
俺からのクリスマスプレゼントだ」
鏡夜に促されたハルヒは、遠慮がちにプレゼントの包みを手にすると、
しゅるしゅるとリボンを解いてゆく。
包装紙を破かないように剥がしているところが、
彼女の几帳面さを物語っている。
綺麗に解かれた包装紙の下の箱を開けて、
中から出てきたものは……淡いピンク色の小さな品物。
「……腕時計、ですか?」
上品に布が張られた専用BOXの蓋をハルヒが開けると、
中には淡いピンク色を基調とした時計が納められている。
「ああ。うちの父親がよく使う宝飾店に立ち寄ったら、
お前に似合いそうなものを見つけてね。
本当は指輪とかネックレスをプレゼントしたいとも思ったんだが、
まあ……今回それは止めておいた」
折角のプレゼントだというのに、
ハルヒが蓋を開けたまま時計をまじまじと眺めて、
なかなか取り出そうとしないので、
焦れた鏡夜は、代わりにその時計を台座から取り出すと、
ハルヒの左腕に付けてやった。
「すごく綺麗な時計ですね、でもどうして時計を選んでくれたんですか?」
思ったとおり、ハルヒには桜色が良く似合う。
「ホスト部のコスプレ以外で、
お前がアクセサリーの類をつけているのを見たことがなかったからな。
どうせ贈っても使われないなら、
毎日使える実用的なもののほうが良いだろう?」
「それは、自分はちっとも女らしくありませんし、
普段は確かにアクセサリーなんて全然付けませんけど、
でも、先輩が選んでくれたものなら、ちゃんと使いますよ?」
「実践できてもいないのに、そんなことを言われても説得力がないと思うが」
「『実践できてない』ってどういう意味ですか?」
「……やっぱり、お前、忘れているだろう?」
きょとんと自分を見上げるハルヒを、鏡夜は半眼で睨むと、
彼女を抱きしめていた腕を解いて立ち上がり、
ネクタイを緩めながらバスルームの方へ向かった。
「忘れてるって、一体、何のことです?」
背後からハルヒの不満そうな質問が飛んでくる。
「わざわざ教えるてやるほど俺は寛大じゃない。まあいい。シャワー借りるぞ」
「だから、何のことですか!?」
そんなハルヒの疑問を曖昧にはぐらかしたまま、
鏡夜はぱたんとバスルームの扉を閉めた。
* * *
続
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