「僕は一つ疑っていたことがあるんだよね」
馨はワインのネタばらしをした後に、
ちょっと寂しそうな笑顔を浮かべて僕にそう呟いた。
「ホスト部でやったオリエンテーリング。
ハルヒが企画した奴。覚えてる?」
「あのカレーの材料を集めて作るって、あれね。
インパクト強すぎて忘れられないよ。
全国生徒を集めてやったし、
なんか色々な人間関係ぐっちゃぐちゃで面白かったよね」
僕がハルヒのことをちょっと馬鹿にするような口調で、
苦笑いを浮かべたら、馨は首を静かに横に振った。
「そういう意味で覚えてるってことじゃなくてさ、
そこからだったでしょ。
もちろん、あれは鹿谷姫の、
父親に対する本音を聞き出すことが目的だったから、
殿の気持ちを暴くことが主目的の、
イベントじゃなかった筈だけど、
でもあのイベントがきっかけになって、
殿がハルヒのことを少しずつ自覚しだしたから。
だから僕は、すごくあのイベントが記憶に残ってるんだ。
………光も、そうじゃないの?」
「……」
僕の顔はちょっとひきつっていたのかもしれない。
確かに、あのイベントの後、
僕は殿に「ハルヒが好きだ」と堂々と宣言をしたりして、
険悪になった記憶は、いまでもはっきり残ってる。
多方面に迷惑をかけまくったせいで、
今から思い起こすと恥ずかしやら後ろめたいやらで、
あまり思い出したくないけど、
……確かに、忘れられない記憶だ。
馨は、僕が当時のことを、
思い出して沈んでいたことが分かったのか、
前髪を、ぽんぽんと優しくなでてくれた。
「そう、あれがきっかけだったんだ。
全てのきっかけ。殿が自覚を初めたあれね。
あのイベント、企画者はハルヒってことになってて、
ハルヒの中じゃ当然、
鹿谷姫の気持ちを暴こうっていう、
表向きの目的しか意図してなかったと思う。
だけど、僕は今でも疑ってるんだ」
「何を……?」
「ホスト部のイベントって言ったら、
なんだかんだで副部長の許可がなきゃできないでしょ。
いくらアイディアを出したってさ」
馨が何を言いたいかはすぐに分かった。
「馨が言いたいのは……、
要するにハルヒが企画したこととはいえ、
あのイベントの全ては鏡夜先輩の策略だってこと?」
「鏡夜先輩が、殿の味方であったことはもう十分分かってる。
当時、色々作戦を練って、
殿とハルヒをくっつけようとしてたことも。
鏡夜先輩の進学を隠していたことだって、
殿との本気の喧嘩のことだって、
もうこれでもかってくらい罠を張ってさ。
あのオリエンテーリングも、
鹿谷姫のことと同時に、殿に自覚させるっていう、
鏡夜先輩の作戦の一環ってことは間違いない。でもね」
馨の顔から笑みが消える。
「鏡夜先輩の策略が、たった一つの裏目的のために、
使い果たされて役目を終えて完了していた。
……なーんて甘い考えは、僕は今は持ってないわけ」
これまでに散々鏡夜先輩にはめられている僕からすれば、
馨の言っていることには頷かざるをえなかった。
「だとすると、馨は何の役目があったって思ってるんだ?」
「うーん、上手く説明できるかわからないけど、
なんとなく違和感があったんだよ、最初から。
大体、最終チェックポイントのオブジェ。
見え見えじゃん。あんなの」
最終ポイントのオブジェは、
世界的にも有名な、
本当に有名な伝承をもつオブジェのレプリカ。
意地っ張りで素直になれない参加者を、
なんやかんやで最終ポイントに連れて来た揚句、
あんな分かりやすいオブジェの前に立たせるなんて、
「はい、ここで真実を言ってください」って、
面と向かって言ってるようなものだ。
はたして「作戦」とまでいえるレベルの、
イベントだったのかって思うくらい、
あのオリエンテーリングのラストの終わり方は陳腐だった。
「ハルヒの企画っていっても、
鏡夜先輩がかんでるのにさー。
最後の締めがあれだけ単純なのはおかしいって、
もう違和感だらけだったんだよ」
「まあ、言われてみりゃーそうだよなあ」
うんうんとしたり顔で頷いてみたけれど、
僕は今の今まで言われるまで、
全く気付かなかったんだから、
なんだかんだで、やっぱり馨は凄い。
「だからあのオブジェは何の裏の意味があるのかって、
ずっと思ってたんだよ。
で、やっとね。最近やっと思いついたんだ。
鏡夜先輩のあの当時の気持ちにね。
だから、あのワインを贈ったの。僕なりの警告として」
「本当のことを言えってだけじゃなくて?」
「伝承はまだ続きがあるんじゃない?
本当のことを言わなかったら、
そのときどうなるのって考えたら、
きっとそれは許さないって、
例え傷つけることになっても、絶対に許さないって、
そういうことだって僕は解釈した」
偽りの心をもつものが、
そのオブジェに触れたなら……。
「……食いちぎるんだ? 海神じゃなくて魔王様が」
僕は「魔王」なんて、
冗談見たいな単語を使ったけど、
全然、笑えるような雰囲気ではなかった。
そうか。あの仰々しいオブジェは、
その真の意味は警告だったんだ、鏡夜先輩から殿への。
自分の心に嘘を吐くな。
逃げるな。
これ以上嘘を吐くなんて許さない。
自分の気持ちに気付かないフリなんて許さない。
もしも本心をごまかし続けて、
逃げ続けて、
ハルヒを傷つけることがあるならば、その時は。
例え、『環』であっても許さない。
鏡夜先輩の底知れぬ決意が見えた気がして、
僕の背筋に一瞬、ぞぞぞっと冷たいものが走った。
「そう。だから、あのときの鏡夜先輩の決意を、
思い出してもらおうと思って、
まあ今度は立場が逆で、
嘘を吐いたら鏡夜先輩が責められる側、だけどね。
そういう
『戒め』を込めて贈ったんだよ。
それがあのワインの意味」
だから別に応援の意味じゃないんだよー、と、
馨は得意げににやりと笑ったけど、
僕はそんな馨を見ていて、
急に沸いてきた疑念があって。
「……じゃあ、今回の『戒め』を破ったら」
馨の顔を凝視しながら、
僕はぽつりとその疑問を口にした。
「嘘をついた鏡夜先輩を、食いちぎるのは……誰なの?」
馨が僕と視線を合わせる。
僕らは真顔で見つめあっていた。
時間はおそらくは数秒なんだろうけど、
それ以上に感じられた。
僕には馨が何を考えてるのか、
時々分からなくなることがある。
そして今、目の前で、
僕のことを真剣な表情で見つめる馨がいて、
おそらく馨のこういう表情のときに、
僕は馨の心が読めなくなる。
僕は単純だろうから、
向こうはきっと読めてるんだろう。
僕の言いたいことも分かってるんだと思う。
そして、おそらくは未だ綺麗に形にならない、
僕の「怖れ」についても、
きっと馨は分かってる。理解してる。
馨は、一瞬だけ横に視線をそらし、
それから首をすくめた。
そんなちょっとした仕草で、
僕らの間の空気は自然と柔らかくなって、
馨はちょっと小首をかしげると、
僕のことを見上げるようにして、
口元をきゅっと引き結んでから、
手元の携帯電話に視線を落した。
「まあ、その役目は今のところは」
馨はふっと目元を和らげると、
携帯電話に目線を動かして、
なにやら文字を打つような指の動きをしはじめた。
「光……ってことでいいんじゃないか、な?」
* * *
続
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