『桜蘭高校ホスト部』が大好きな管理人の、二次創作サイトです。
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フランスにいた頃、
環が漠然とイメージしていた、日本流の一家団らんの図は、
和室の中央にコタツがあって、
それを父と、母と、祖母と、そして自分が仲良く囲みながら、
一つの鍋を突いている、というものだった。
誰一人欠けることない。
家族全員が、互いににこにこと笑い合って楽しく過ごす。
そんな温かな景色。
「さあ、環様。旦那様も先ほどからずっとお待ちですので、
早くお着替えをお済ませになって食堂へお越しください」
「え? 父さんが? じゃあ、お祖母様もご一緒に?」
一瞬、抱いたのは微かな希望。
今は未だ、想像の中だけの家族の理想図に、
一歩でも近づけるのだろうかというその期待は、
シマの言葉ですぐに打ち消された。
「いえ。大奥様は本日お出かけになっておりますので、
旦那様は環さまとお二人で夕食をお召し上がりになりたいとのことですよ」
ようやく本邸に入ることが許されて、
一つ屋根の下に住んで居るのに、
環が祖母と食事を共にする機会は現在もほとんどなく、
さらには、父、譲も含めて三人で食べるということは皆無に近かった。
そんな状況で、今日は父が早めに帰宅して自分と夕食を食べようというのだから、
ようやく一家団らんの楽しいディナーが実現するのかと、
瞬間的に、そんな甘い予想を環は抱いてしまったわけだが、
その夢はまだまだかなわないようだ。
しかし、シマに余計な心配をかけたくないので、
自分が今思ったことを、口に出すのは止めておく。
毎日、五月蝿く小言を言われ、厳しく躾けられても、
日本に来てからの環の面倒を第二邸宅で一番見ていてくれたのは、
このシマであることは間違いなかったし、
環はそれにとても感謝していたから、
シマの表情を曇らすようなことはしたくなかった。
「わかった。すぐに行くよ、シマ」
父を長く待たせると、また色々からかわれて、
いいように翻弄されてしまうことは容易に想像できたから、
環は慌てて着替えると、階段を早足でかけ降りていった。
「環。随分ゆっくりだったな?」
天井の高い広い食堂。いつもは一人ぼっちの食卓。
使用人達は皆、環の食事が寂しくないように、
周りで控えていてくれて、話しかければ応えてもくれるが、
さすがに『一緒の食卓で、皆一緒に食事をしようではないか!』という、
環の提案は、礼儀作法に厳しい祖母の目もあって、
環の教育係であるシマが許すことはなかった。
そんな孤独な食事の席に、今日は父が先に座っている。
須王譲。
環の父であり、桜蘭学院の理事長であり、須王グループの総帥であり、
そして目下、環が一番目標としている人物だ。
「なんだ? 珍しく元気がないじゃないか、環。
そんなに私と食事をするのが気に入らないのか?」
珍しく二人で一緒に食事をしているのに、
しゅんと沈んだ顔で、黙りがちに食事をしている環の様子に、
譲は怪訝な顔で問いかけた。
「いえ、父さんと食事が嫌とか、そういうわけではなくてですね。
今日ちょっと学院で色々とありまして……」
「お前がそんなに落ち込むというと……察するに、そうだな、
あの藤岡さんという特待生のお嬢さんと喧嘩でもしたとか、そんな理由か?」
父の口から予想外の人物の名前が、突然飛び出してきたので、
パンを食べかけていた環は、ぐぐっと喉にその欠片を詰まらせてしまい、
んんん、と唸りながら、なんとかそれを飲み下した。
「な、なんで、ここでハルヒがいきなり出てくるわけですか!」
「『なんで』と言われても……お前は、あのお嬢さんを、とても気に入っているようだし、
彼女と喧嘩になれば、いくら馬鹿なお前でも、
人並みに落ち込むんじゃないかと思ったものでね」
向かい側の席から、ニヤニヤ含み笑いをしながら自分を見ている父親に、
環は顔を赤らめながら、ごほごほと咳払いをして喉を整える。
相変わらず俺を馬鹿にして遊ぶんだから……この親父は。
「まあ、それは、俺はハルヒのことを『娘』のように可愛く思ってますから、
ハルヒに嫌われたら、落ち込むとは思いますけど、今日はそれが原因では……」
そもそも今日の放課後は、
ハルヒに会う前にさっさと帰ってきてしまったわけで、
喧嘩も何もあったものではない。
環の沈んだ表情の原因の全ては、
鏡夜に、国立大学へ進学するということを隠されていたためなのだが、
そんなことを、この父親に言ってしまったら、
どんなに楽しそうに揶揄されるか分かったものじゃない。
だから、環は最後の方はあえて声を窄めると、
再び手にしたパンを千切ることで、答えを誤魔化そうとした。
「環。お祖母様のこともあるから、
この際、父さんはお前に確認しておきたいことがあるんだが」
「あ、そういえば、さっきシマから、
何か俺に大事な話があると聞いてましたけど……一体、なんですか?」
環の問いを聞いた譲が、
座ったまま後ろを振り返って目配せすると、
テーブルの脇で控えていたシマを始めとする使用人たちが、
静かに食堂を後にして、広い食堂には環と譲だけが残された。
「環。以前、お前は藤岡さんにキスをしてただろう? 私の目の前で」
「…………へ?」
あまりに唐突かつ心の準備が全くできていなかった質問に、
あたふたと大慌ての環は、
手にしていたパンの欠片を、テーブルの上に行儀悪く取り落としてしまった。
シマがその場にいたら、厳しく叱られていたかもしれない。
「お、お、お、俺が、は、ハルヒに、キ、キスって、と、父さんの前で……って、
い、一体何のことを言ってるんですか、あなたは!」
娘にキスなんて変態では……いや……それは解決したんだったか?
父親はわが子にちゅうしたくなるものだって、誰かが言っていた。
そう、確かに俺はそう聞いた。聞いたはずなのだ!
あれ? でも、誰から、何時その話を聞いたんだっけ?
まあ、とにかく、俺はハルヒのお父さんなのだから、
可愛い娘に『ちゅう』したくなるのは素晴らしき父性愛なわけで、
いや、だから今、問題なのはそこじゃない。
今、父さんは俺になんて言ったんだ?
譲の質問に、環の頭の中は、あらゆる過去の残像のるつぼと化して、
ハルヒに関わるありとあらゆる感情パーツが、
ごっちゃごちゃに掻き回されたあげく、
ぶつかりあって生じた予測不能な化学反応が、混乱を次々と誘発させていく。
『父さん』の前で『お父さん』の俺が『娘』のハルヒにキス?
最終的に心に残ったキーワードを、強引に結びつけてみたら、
さっぱり何のことだか分からないものになってしまった。
混乱しているのは頭の中だけではなく、
目の前の景色さえも、なんだかぐるぐると回ってしまっている気がする。
「……お前が珍しく熱を出して寝込んでいたとき、
藤岡さんがお見舞いにきていただろう?
あの時、お嬢さんの帰り際に無理矢理手を引っ張って、
おでこに『ちゅう』をしてたんだが、お前、覚えていないのか?」
「お……俺はハルヒにそんなことを!?」
高熱に浮かされていた環にとって、
あの日のことは全て蜃気楼の向こう側の出来事。
気付いたのは翌朝。
自分は、ベッドの中で母親の写真をしっかりと握り締めて眠っていた。
ハルヒのおでこに『ちゅう』? 俺が、あの時に?
それまで病気一つしたことのない環が、
生まれて初めて高熱を出して寝込んでしまった日の、少し前のこと。
モナール王国から学院の視察にやってきた、
ミシェル王女をもてなしていた時に、
その見事なブロンドの髪を見て、
最初、自分の母親の姿と見間違えたんだとハルヒに向かってこっそり明かしたら、
ハルヒは、「ちっともおかしくない」と笑って答えてくれた。
「母親の面影を追っているのは自分も同じなのだから」と。
自分にそんな優しい言葉をくれた彼女に、
その時、思わず『ちゅう』しそうになったことは覚えている。
お父さんなのに娘に対して、
キスしたいと思うなんて変態じゃないかと悩んだことも覚えている。
悩みすぎた所為かどうかはともかく、
直後、体調を崩して熱を出したことも覚えている。
ハルヒを始め、ホスト部の皆が、
お見舞いに来てくれたことも、おぼろげに覚えている。
でも。
あの時にハルヒに本当にキスをしてしまっていた、なんて、
全然……覚えてない……ぞ?
「まあ、あの時のお前は、随分熱が高かったみたいだから、
覚えていないのは仕方ないかもしれないが、私が聞きたいのはね、環」
ああ、でも、そういえば……、
『わが子にちゅうしたくなるのは、父として誇るべき感情だ』とか言ったのは、
あの時の父さんだった……かな?
「お前が、あのお嬢さんのことをどう思っているのかってことなんだよ」
自分のスペックでは、
本来処理することができない重いファイルを、
持てるスペックを最大限に運用して、なんとか抉じ開けようとしているところに、
さらに追い討ちで、内容不明のこちらも重たいデータが、
ぽんと投げ込まれてきたために、
もはや、環の脳内の処理は完全にショートしてしまっていた。
「………は、はい?」
父親の質問にも、はて、何のことやら……と、
環は呆気にとられてしまって、
答えるどころの騒ぎではなく、
ただもう一度、父の質問を聞き返すことしかできなかった。
「だから、私が言いたいのは……、
あんなに熱で意識が朦朧としているときに、
キスなんて行動をとるくらいなんだから、
お前は藤岡さんとのことを本気で考えているのかと、聞いているんだよ」
* * *
続