* * *
頻繁に見舞いに来てくれる夫と娘。
二人が訪れるまでの一人の時間には、
病室の窓から外をぼんやり眺めながら、物思いに耽る。
最近考えていることは、たった一つ。
プレゼントの言葉は何にしよう? ということ。
誰よりも愛しいあなたへの最後の贈り物だから、
慎重に選んでおきたい。
この間、私がいなくなった後の、
あの子のことをお願いしたら、
あなたは少し不満そうな顔で私の話を聞いていから、
私はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
あなたの気持は分かっている。
弱気になるな、ということよね。
でもね、今考えていることは、
どうせ死んでしまうんだから、と言ったネガティヴな意味ではないの。
最期の最期、いざというときに慌ててしまって、
言いたいことを伝えられなかったら、
向こうで悔やんでも悔やみきれないから、
まだこの意識がはっきりしている間に、
ちゃんと考えておいて、絶対に言い忘れないように、
この胸に刻んでおきたいだけなのよ。
あなたと、お別れをしなくてはいけないその時に、
私の『初めての宝物』であるあなたに、伝えたい言葉を。
* * *
時は進んで、11月22日夜。ハルヒの部屋。
彼女の父親、蘭花からプレゼントされた写真を、
彼女と一緒に見ている時、
文字が書いてあると指摘されて写真の裏側を確認すると、
今日の日付と共に、一つの言葉が添えられていた。
『“三つめの宝物”へ 20XX.11.22』
そういえば、昼間、会社にやってきた蘭花は、
亡き妻と、そしてハルヒのことを自慢の宝だと言いつつも、
最近、もう一つ、宝物が増えたと言っていた。
『琴子とハルヒがあたしの自慢の二つの宝物。
……まあでも、実は最近、もう一つ宝物が増えたんだけど、ね』
蘭花の中では、琴子とハルヒ……要するに、
自分の『身内』のことを、『大切な宝物』と位置づけているようだったから、
鏡夜はてっきり、新しい宝物とは、
蘭花の新しい恋人のことかと思っていたのだが、
写真の裏に書かれた文字は、
今日の日付と共に書いてあることから考えても、
明らかに自分に向けて贈られた言葉だ。
蘭花さん……。
自分は蘭花から、
大切なものを奪う立場なのだと思っていた。
だからこそ、許してもらわないといけないと思っていた。
けれど、蘭花は奪われた、などとは思っておらず、
むしろ、この先、ハルヒを守り続けると誓った、
この自分のことを、新しい宝物なのだと考えてくれているようだ。
「なるほど……この写真にはそういう意味があったのか」
そう気付いたら、心の中がものすごく温かくなって、頬が自然と緩む。
「意味って何の話ですか?」
写真の文字と、鏡夜の表情を交互に見つめ、
ハルヒが目の前で首を傾げている。
「いや……俺は今まで、お前と一緒にこうして過ごすことが、
蘭花さんに申し訳ない思っていたんだが……」
「お父さんに?」
「ああ。でもまあ、これで『気兼ね』は無くなったと思ってな」
「気兼ね? ……でも、お父さんは、
鏡夜先輩が、私の部屋に来てたことは知ってたわけですよね? 今までも」
「それはきちんと報告してたからな。
だが蘭花さんは、少々勘違いをなさっていたみたいで……」
「勘違い?」
「…………」
六月に告白をして、八月に一旦別れることになるまで、
何度か彼女を抱きよせて、優しいキスを送っても、
彼女の瞳が、環の影を追いかけていることが分かったから、
忘れる必要はないんだと、言ってやった手前、
どうしても、その先の深いところまで進めないでいた自分。
「………まあ……それは、食事の後にでも『ゆっくり』説明するよ」
昨日、その話題を出された時には、
かなり、酔いが回った状態ではあったものの、
蘭花が、何をどう勘違いして怒っていたか、
そして自分が必至で弁解したことまでは覚えている。
残念ながら、弁解の内容は、ほとんど覚えていないけれど。
「ところで、せっかくお前が作ってくれた食事だからな。
冷めないうちに食べたい。
今日は朝から、ろくなものを食べてないんだ」
蘭花の『例の勘違い』については、
男同士の内緒の話というか、
今、この場で、澄ました顔で話せるようなことでもないので、
鏡夜はさっさと話題を変えることにした。
「食べてないって、お仕事、忙しかったんですか?」
「長期入院でペースが狂ったから、取り戻すために多少な」
ハルヒが鍋に作っていたものは、
どうやらビーフシチューだったらしい。
冬の寒さは、窓の向こう側に落ちて、
閉ざされた室内に温かな湯気が立ち上り、
見るからに旨そうな手料理の脇に、
ハルヒは赤ワインを注いだグラスを置いてくれた。
「先輩、お誕生日おめでとうございます」
小さなテーブルの向かいの席に座ったハルヒは、
自分の分のグラスを持ち上げると、鏡夜のほうへ差し出してきた。
「ありがとう、ハルヒ」
グラスとグラスの擦れる、小さく固い音と共に、
中の赤い液体がきらきらと揺らめいて、
その向こう側で、ハルヒがとても穏やかな笑顔を浮かべている。
「鏡夜先輩、あまり無理しないでくださいね。
休んでたら仕事が大変なのは分かりますけど……」
「まだ少し足は痛むが、歩けないわけじゃないし、
周りの人間が、それなりに気を使ってくれるから問題ない。
お前のほうこそ、最近仕事の調子はどうなんだ?」
「自分ですか? そうですね……実は今、刑事事件を担当してるんですよ」
「刑事事件? 珍しいな。どういう案件だ?」
「守秘義務があるので、漠然とした話になりますけど、良いですか?」
「ああ、それは分かってる。
差し支えない程度でいいから、お前の仕事の話を聞きたい」
鏡夜としては、この先、
彼女に自分の近くで仕事をしてもらうための、
軽い事前調査のつもりで出した話題だったのだが。
「えっとですね。今、受け持ってるのは、
恋人同士の痴情のもつれによる傷害事件なんですよ」
「……恋人同士の……傷害事件?」
この後、ハルヒの口からは、
生々しくも殺伐とした刑事事件の話が、
まるで世間話のように、すらすらと語られることとなり。
「誕生日に、よくそんな話を平然とできるものだ」などと、
鏡夜はすっかり呆れ顔で、
彼女の職業病に突っ込みをいれることになってしまうのだった……。
* * *
最初に思いついたのは二つの言葉。
『忘れないで』
……私の事、ずっと覚えていて欲しい。
『忘れていいのよ』
……あなたには新しい人生を歩んで欲しい。
どちらもありかな、と思ったけど、
でも、それをあなたに言う自分の姿を想像したら、
どうもしっくりしなくて、再び悩み始めてしまった。
忘れないで欲しいとか、忘れても構わないのよ、とか。
お別れの言葉としては、どちらもそれなりに適切で、
それらを選ぶ人もいるとは思うけれど、
私からあなたへ贈る言葉としては、ちっとも相応しくないと思った。
だって、あなたは何時だって私に優しくしてくれるから、
私が、しかも最後に望んだ願い事だったとしたら、
それを何があっても叶えてくれようとするでしょう?
例えば、忘れないで、と言ったなら、
本当は早く忘れたいと思っているのに、
きっと、死ぬまで一生、あなたは私のことを覚えておこうとするでしょうし。
反対に、忘れていいのよ、と言ったなら、
本当はなかなか忘れられないのに、
強引に忘れようとして、無理な行動を取ってしまうのかもしれない。
私の事、忘れないでいて。
……ずっと覚えていなきゃいけない。
私の事は、忘れてしまって構わない。
……新しい人生を進まなきゃいけない。
どちらの言葉を残したとしても、それがきっとあなたを縛ってしまう。
だから、私は言わない。
どちらの言葉もあなたには遺さない。
私はあなたにちゃんと、
あなた自身が心から『正しい』と思う道を選んで欲しいから。
あなたが忘れたくないのなら忘れなければいい。
忘れてしまいたいのならそれでもいい。
無理にどちらかに決めなくても、
知らず知らずの内に思い出に風化して、
結果として忘れてしまっていたとしても、それならそれでいい。
この世の中には、全ての人に当てはまる、
たった一つの「絶対的な正しい道」があるわけじゃないから。
ふふ。弁護士なんてしてるのに、
こんなこと言いだしたらあなたは驚くかもしれないわね。
でも、弁護士だって、絶対的な真実を求めているわけじゃない。
探しているのは、依頼人、当事者、その人にとっての真実。
神様の目線からじゃない。
ここで生きて、日々苦しんで、泣いて、笑って、
そんな一人一人の目線から見える相対的な真実を、いつだって探してるものなのよ。
この世の中に生きている、沢山の人々の上には、
おびただしい数の人生の分岐があって、
そのどこへ進んだっていいの。
どれを選択しても、それはあなたにとっての正しい道となる。
私のことを覚えているとしても、
私のことを忘れて別の生き方をするにしても、
同情や慰め、時には非難とか、
周りから色々なことを言われると思う。
でもね、あなた自身が、これと信じて選んだ道だったら、
何を言われようと、それがあなたにとっての唯一の真実なの。
私が望むことは、
あなたが、偽りない美しいあなた自身の心で、
あなた自身の未来を選ぶことよ。
いつでも強い意思を持っているあなたなら、
ちゃんと選ぶことができると信じてるし、
そういう、「男らしさ」をアピールしてくれたあなただからこそ、
私はあなたを愛したし、愛し愛されたことを嬉しく思ってるんだから。
……ん?
……嬉しく思う……か。そっか、これだわ。
伝えるべきは、
私がいなくなった後で、あなたにどうして欲しいかじゃない。
私があなたのことをどう思っているのか、
私の想いをちゃんと伝えておくことこそが必要なんだと、
何日も迷った挙句、ようやく私は気付いた。
そして選んだ、最後のプレゼント。
それは……感謝の言葉。
私の宝物になってくれてありがとう。
私をあなたの宝物にしてくれてありがとう。
私と家族になってくれてありがとう。
私達に大切な宝物、ハルヒを授けてくれてありがとう。
そして、最後まで……。
最後まで、私の傍に一緒にいてくれて本当にありがとう。
人生って、沢山の人と出会って、宝物を増やしていくことだから、
私がいないこれからの時間の中でも、
あなたにも、あの子にも、
いくらだって新しい宝物を増やす機会があるとおもう。
だから、あなたは、あなた自身の宝物を見つけていくと同時に、
ハルヒのこれからを、傍で見守って、
時が進んで、いつかこっちにやってくることがあったら、
その時、私に聞かせて。
互いを『一つめの宝物』とするならば、
ハルヒの存在は私達にとって『二つめの宝物』。
その『二つめの宝物』が見つけ出した、
あの子を愛し、幸せにしてくれる存在……『三つめの宝物』のことを。
……ああ、そうだ、涼二君。
ハルヒの事と、そしてあなたへのお礼の他に、
忠告しておかなきゃいけないこと、思い出しちゃったから、
こんなときに何だけど、オマケに付け足しておくわ。
さっきも言ったけど、
これから先、基本的には、あなたはどんな選択だってしてもいい。
けど、くれぐれも、妻子のいる人に手を出すときは、
それなりの覚悟をしておきなさいね。
もし何かトラブルになっても、
あたしにはもう、あなたの弁護はできないんだから。
* * *
了
(初稿2010.7.19)
以上で「三つめの宝物」は終了です。
書き始めたのは、旧ブログ運営時代だったのですが、
紆余曲折を経て、ようやく完成しました(汗)。
鏡夜×ハルヒといいながら、実は蘭花が主役じゃないかとも思ったりします。
タイトル「三つめの宝物」の意味に、
謎解き前に気付いたかたは居ますかね~?
さて、今回はほのぼの系ジャンルへの挑戦(?)ということで、
今まで以上に拙い文章+構成に加え、
ストックが無くなったせいで、最後のほうは、とびとび連載となってしまいまして、
しかも、結局シリアスじゃないか? という怒号も、
どこからか聞こえてくる気もしますが(遠い目)。
……にもかかわらず、最後まで、
お読みくださった方には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に、いつもいつも見に来てくださって、
そして、今回も長丁場の連載にお付き合いいただき、ありがとうございました!
2010.7.19Suriya拝
追記:なんとなく33話で終わらせたかったんですが、上手くいって良かったです(苦笑)。