『桜蘭高校ホスト部』が大好きな管理人の、二次創作サイトです。
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共に在る理由 -32- (ハルヒ&蘭花)
鏡夜を失いたくないという思いから、ハルヒは過呼吸の症状を起こして倒れてしまう。
そんなハルヒを、芙裕美は気丈に振舞ってハルヒを励し続けた。そして二人は病院へ……。
* * *
病院という場所は、母との思い出と重なる。
多忙な弁護士という仕事に就きつつ、
家事も育児も完璧にこなしていた母が入院することになって、
ハルヒは父と共に、ほぼ毎日のように、母を見舞いに行っていた。
病が身体を苛んで、苦しくないはずはないのに、
二人が病室に訪れると、母は必ず笑顔で迎えてくれたから、
病院は母が亡くなった悲しい場所のはずだったけれど、
ハルヒの記憶の中では、どちらかといえば、
料理のレシピなどを教えてもらって楽しく過ごした、
そんな優しい記憶の印象が強い。
それに、当時は幼かったから、
病院で最期に見た母の姿に、
死という実感が湧かなかったのも大きいだろう。
「おかあさん、ねてるの?」
昨日まで普通に会話をしていたから、
顔の上に白い布をかけられて、母が横たわっているのを見て、
ただ眠っているんだと思っていた。
「ねえ、おとうさん。おかあさんをおこしちゃダメ?」
父の服の裾を引っ張ってそうお願いしてみたが、
隣に立っている父はそれに答えようともしない。
「おとうさん?」
父を見上げて驚いた。
いつも自分の前では弾けるように明るい父が、
この時ばかりは、唇を噛み締めて、声を殺して泣いていたから。
ハルヒは自然と父の手を握っていた。
「ハルヒ……」
足元にハルヒがいることを、
今、やっと気付いたような表情で、父はハルヒを見下ろしている。
「おかあさん、どうしたの?」
幼いハルヒの前に膝をついた父は、
ハルヒをぎゅっと抱きしめた。
「お母さんはこれからちょっと、遠いところにいってしまうから。
だから、一緒に……お別れしようね。ハルヒ」
後にも先にも、父が泣いているところを、
ハルヒが見たのは、この一度だけだった。
それが、彼女の病院の記憶。
* * *
病院の威圧的な白い建物を前に、
最悪の方向へ振り切れようとする心の針を、
ハルヒは鏡夜の無事を信じることで、何とか押し戻そうとしていた。
車が病院前のロータリーへ入っていくと、
蘭花が病院の入り口に立っているのが見えた。
「お父さん!」
「ハルヒ」
停車するや否や車から飛び降りて、ハルヒは父に駆け寄った。
「鏡夜先輩は!?」
「今、まだ手術中なの……もう一時間以上経つわ」
父の話によると、鏡夜が事故に巻き込まれたのは、
六時少し前のことだという。
鏡夜のオフィスの近くで起きたという、
その場所からして、ロワグランホテルへ向かうタクシーの中で見かけた、
あの人ごみと救急車に間違いない。
自分が何も知らずに通り過ぎた、
ほんの数メートル先の路上に、彼が居たという事実。
それを思うと、また、胸が苦しくなる。
「先生は手術室から出てこないし、看護師さんに聞いても、
まだ手術中で詳しくは説明できないって、突っぱねられちゃって……」
「ハルヒさんの……お父様ですか?」
ハルヒの後ろに立っていた芙裕美が、二人の会話に入ってきた。
「ええ、そうですが……ハルヒ、そちらの方は?」
「えっと……」
ハルヒが答えるより前に、芙裕美は丁寧にお辞儀をした。
「初めまして。私、鏡夜の姉で、矢堂芙裕美と申します」
「鏡夜君のお姉様ですか……どうも……ハルヒの父です」
蘭花もお辞儀を返すと、芙裕美は心配そうに問いかけた。
「それで、鏡夜さんの容態は……?」
芙裕美の言葉に蘭花は力なく首を横に振る。
「詳しいことはまだ何も」
手術室のある五階に着くと、
廊下に橘が立っていて、こちらを見るなり深々と頭を下げた。
「橘、お父様に連絡は?」
「ご連絡さしあげましたが、今は海外にご出張中のため、
どんなに早くても、日本に戻るのは明日の夜になると」
「そう……」
鳳総合病院の手術室は全部で十二あって、
その各手術室に至る手前で、
通路は重苦しい銀色の扉に遮断されている。
付き添いの人間はそこから先に入ることが許されておらず、
手術の様子は、まったく伺うことができない。
それは、とてもとても長い時間だった。
ハルヒと芙裕美が到着してから、
さらに二時間近く経過しようとしていたが、
手術室につながる目の前の扉は、まったく開く気配がない。
張り詰めた緊張感だけが、その場を支配していた。
「お父さん」
手術室前の廊下で、
椅子に座っているのはハルヒと蘭花の二人。
橘は各方面と携帯電話で連絡が取れるように、一階ロビーで待機していて、
芙裕美は病院側に詳しい事情を聞くといって、病棟の方に行ってしまっていた。
「お父さん……どうしたらいいんだろう」
「どうしたら、って?」
蘭花は俯くハルヒの横に座り、その肩をそっと抱いている。
「一緒にいられないって、そう思わせたのは自分の所為なのに、
先輩がいなくなるって思ったら、すごく怖くなって、苦しくなって」
答えを探さなくちゃいけないのに。
「でも、今ここに自分が居ていいのか、
鏡夜先輩に会って、何を言ったらいいのか……」
見つけなくちゃいけないのに。
「自分が何をしたいのか、全然、わからなくて……」
環の時のように、失ってから大切な思いに気付く、
あんなことになる前に、
自分が鏡夜に伝えなければいけないことを見つけ出したいのに。
「先が見えなくて、周りも見えなくなって、
答えが分からなくなったときには、
自分の手の届く、目の前のことをちゃんと見て、
一つ一つ答えを出していけばいいのよ」
しんとした空気の中に、蘭花の声がしっとりと流れていく。
「一つずつ?」
「そう、一つずつ」
蘭花はハルヒの肩をぽんと優しく叩く。
「苦しいときには、どうしても余計なことを考えちゃって、
いつのまにか、大事なことがわからなくなっちゃうけど、
お父さん、前に言ったでしょ?
誰かのことを考えるときには、
その人のことだけ考えて、どうしたいか決めなさいって」
蘭花は目の前の銀色の扉に顔を向けてはいたが、
視線は、扉ではなくさらに遠くを見ているようで、
古い記憶を思い出しているようにもみえた。
「ハルヒが今、考えていることはなあに?」
「今、考えていること?」
「細かい理屈なんて要らないから。
ハルヒが、今一番したいと思ってること、それは何?」
蘭花は優しくゆっくりと問いかけてくる。
「今……自分が一番したいこと……?」
鏡夜の事故の知らせを受けて、
無事でいて欲しいと、それだけを信じてここまできたけれど。
手術室の前で、不安な気持ちを抱えながら、
何時間もこうして待っているのは、何のためだろう。
今、自分がしたいこと。
もう一度、彼の優しい笑顔が見たくて。
もう一度、彼と話をしたくて。
今、自分に必要なもの。
ずっと、彼の落ち着いた声を聞いていたくて、
ずっと、彼がの温かさに触れていたくて。
今、自分が恐れていること。
鏡夜に二度と会えなくなって、その全てを失ってしまうこと。
「お父さん」
今まで、自分がしたいと思うことを、
色んな理屈で否定し続けていたけれど、
自分を取り巻くあらゆる事情や感情を、
いったん全て真っ白に戻して、
今、自分がしたいと思っていることだけを考えた時、
ハルヒは、そこに一つの答えを見つけた。
先の見えない不確かな時の流れの中で、
確実に存在するのは「今」というこの瞬間だけ。
その今という場所で、
一番自分がしたいと願う……その答えは……。
「傍に……居たい」
理由なんてはっきりとわからない。
この気持ちを、なんて表現していいのかもわからない。
でも、一つだけ確かなこと。
「私は今、鏡夜先輩の傍に居たい」
ハルヒの言葉が合図のように、
扉の向こう側が急に騒がしくなった。
がらがらと何かを引きずる音。
何人かの人の声。
かちゃかちゃと触れ合う金属の音。
その一方で、扉のこちら側、
エレベーターからは数人の看護師が降りてきて、
手術室前に待機しはじめる。
鏡夜が病院に運び込まれてから、三時間と少し。
「鏡夜先輩!」
思わず立ち上がって扉を見詰めるハルヒと蘭花の前で、
ゆっくりと、扉が開く。
* * *
続