『桜蘭高校ホスト部』が大好きな管理人の、二次創作サイトです。
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共に在る理由 -16- (ハルヒ&鏡夜)
二ヶ月間ずっと感じていた疑問を、ハルヒはついに口にした。
環を愛し続ける自分と一緒にいることが、鏡夜にとって本当に無理はないと言えるのかと……。
* * *
あの時、あなたも、泣いていませんでしたか? 涙は見せなくとも。
* * *
「こんなに苦しい気持ちになるなら……」
固く握り締められた手の甲に、ハルヒの涙がはらはらと零れゆく。
「あの時、あなたの手を、取らなければ良かった……!」
ハルヒは唇をぎゅっと噛み締めて、
嗚咽を押し込めようとしていたけれど、
引き結んだ唇の隙間から、耐え切れずに漏れ出す泣き声は、
二人の間に横たわる静寂の中に、ぽろぽろと転がりだしていく。
「……お前の気持ちは、よく判った」
ややあって、鏡夜の声がハルヒの耳に届いた。
それは、どこか諦めたような、力の無い小さな声。
鏡夜のこんな声を聞くのは、久しぶりに思う。
久しぶりに……そう、以前に何処かで聞いたことがある、掠れがちな彼の声。
「橘、車を停めろ」
「は、はい」
鏡夜の指示で、オフィスビルの立ち並ぶ大通りの途中で車が停まる。
「橘、このままハルヒを送っていけ。俺はここで降りる」
普段なら橘が後部座席のドアを開けるのを待って降りるというのに、
珍しく性急に、鏡夜は自らドアを開けて外に出てしまった。
「……え、鏡夜先輩……?」
後を追って降りようとするハルヒの目の前で、
ドアが勢いよく閉められて、
ハルヒは追いかけようと取っ手を握ったが、
ロックが掛けられたようで開かない。
「開けてください、橘さん!」
「それはできません。鏡夜様のご命令ですから」
「でも、鏡夜先輩が……」
歩道に出た鏡夜は背中を向けて、車の後方へと一人歩いていく。
リアガラス越しにハルヒは鏡夜の姿を見ていたが、彼が振り返る素振りは無い。
「ここからですと、ちょうどオフィスも近いので、ご心配なく。
申し訳ありませんが、少々電話を……、
ああ、私だ。いま鏡夜様がオフィスへ向かわれている。
すぐに社内のガードの人間を回してくれ」
橘はシートベルトを外して、バックミラーの位置を不自然な角度に動かし、
ちらちらとそれを確認しながら電話を続けている。
どうやら通りを歩いていく鏡夜の影を、ミラーで追っているようだった。
「では、鏡夜様のガードは頼む。
私は鏡夜様のご命令で、
これからご友人を自宅までお送りしてから会社に戻る」
「橘さん!!」
ハルヒが運転席の背もたれを掴んで、
橘にドアロックを解除してもらうように頼んだが、
橘は頑なにドアを開けてくれなかった。
「藤岡様。出発前に、こちらからお詫びさせて頂きますので、
ロワグランホテルでお待ち合わせの方の、お名前を教えて頂けますか?」
「あっ……」
橘に指摘されて、慌ててハルヒが腕時計を見ると、
待ち合わせの九時はとっくに過ぎて、もうすぐ十時になろうというところだった。
「いえ……その……自分でしますので……」
「藤岡様に無理なことをしたのはこちらですから、
こちらから先方に非礼をお詫びさせて頂くのが筋かと。
それとも、今からロワグランホテルに向かわれますか?」
鏡夜がひどく怒っていたように、
ロワグランホテルの展望レストランは、かなり高級なレストランで、
折角、お礼にと設けてもらった席を、
当日いきなりキャンセルというのはかなり失礼だと思えた。
しかし、もうハルヒの顔は涙でぼろぼろで、
これからホテルに戻って楽しく食事をしたり、
まともに会話をしたりできる状況にはない。
「すみません……その、矢堂……芙裕美さんという方で……」
「矢堂様……なるほど、そうでしたか。畏まりました」
ロワグランホテルは鏡夜もよく利用する場所なのだろう。
橘は携帯電話で、すぐにホテルに連絡を取ってくれた。
「本日そちらに矢堂家の奥様がいらっしゃると思いますが……」
しばらくやりとりを交わした後で、携帯を切った橘は、
後ろを振り返って後部座席のハルヒに声をかけた。
「お待たせしました。先方に連絡はつきましたのでご心配なく。
では、藤岡様。ご自宅へお送りいたします」
既に、車の窓から見える範囲に鏡夜の姿はない。
「あの……橘さん……」
車が再び動き出すと、
さきほどまで鏡夜が座っていたその空間が、
ぽっかり空いていることに、急に寂しさがこみあげてくる。
「藤岡様、私のことは、どうぞ、お気になさらず」
繁華街に近づくにつれ、
大通りは、客待ちのタクシーがひしめきあって車の流れが悪くなっている。
歓楽街から駅方面へと流れ出す人ごみが、
信号でやっと分断されて、ハルヒを乗せた車はその合間をゆるゆる走り抜ける。
「……すみません……あんなに騒いでしまって……
その……鏡夜先輩に……あんなこと言って……」
ハルヒは涙を拭きながら、
鏡夜に見せた自分のみっともない姿を思い出していた。
「私は、鏡夜様が環様を大切なご友人と思っていらしたことも、
環様が、藤岡様のことを大切にしていらっしゃったことも、
全て存じております。
環様の事故のことを思えば、藤岡様の心中お察しいたします」
橘は淡白に答えるだけだったが、
それでも、ハルヒの心には幾分か救いがある言葉だった。
「……すみません。ありがとう……ございます」
ハルヒは、拭いても拭いても、
まだ潤んでしまう瞳を指先で拭いながら、ぐずぐずと鼻をすする。
「鏡夜先輩は……優しいのに……、
自分はこんなことしか……言えないなんて……本当に馬鹿ですね……」
「鏡夜様は確かに、いつも冷静で計算高く装っていらっしゃいますが、
いえ、装いではなくて、実際、そうなのですが、
でも、本当は純粋でお優しい方だということは、
私ども鏡夜様付きのスタッフも全員存じ上げております。
……決して素直にはお出しになりませんが」
おそらくは、ハルヒの心を和ませようと、
最後に愚痴とも取れる一言を零す、
そんな橘の台詞に、ハルヒは少し表情を和らげた。
「鏡夜先輩が……あんなに優しくなくて……、
ただ自分のことを利用するために……一緒にいようとしてくれていたなら、
負い目を感じることなく、ずっと鏡夜先輩の傍にいることも……
もしかしたら、出来たのかもしれません」
「藤岡様が、鏡夜様の態度をどう思われているかは、私には解りかねますが」
信号待ちで止まった車内で、
橘は諭すような口調でハルヒに語りかけた。
「あの時以来、鏡夜様が普段通りに、日々を過ごしてこられたのは、
藤岡様がいらっしゃったからですよ」
「あの時……?」
交差点を曲がる瞬間だったからか、
それとも答えるがためらわれたからだろうか、
ハルヒの問いに対する橘の返答は、若干タイミングが遅れたように思う。
「……環様の事故の日のことです」
一年前。
ハルヒの卒業式に間に合うように、フランスを立った、
環の乗った飛行機が、空路の途中で連絡を絶ったあの日。
「あの日、鏡夜様から調査を命じられまして、
事故の情報をやっと掴んで鏡夜様にお伝えしたところ、
鏡夜様はひどく動揺して、そして混乱していらっしゃるご様子で、
後々伺ったところ、あの時、事故の報告を受けてから、
藤岡様のアパートに到着するまでの記憶が、
ところどころ不確かだ……と、仰っていました」
「……え?」
環の事故をハルヒが知ったのは、
各国の航空局に連絡をとり、いち早く事故の情報を掴んだ鏡夜が
直接ハルヒのアパートまで教えに来てくれたからだった。
「だって、鏡夜先輩は……いつだって……冷静で、
……あの日も、うちに来たときは、
確かに少し様子がおかしかったけど……、
でも、その後ずっと私のことを、見ててくれて……」
余りに激しく心が動揺したために、ハルヒもあの日の記憶は曖昧だ。
はっきりしているのは、鏡夜が来てくれて、
そして事故の速報をテレビで見た、そこまで。
その後、半日以上記憶が無い。
次に思い出せるのは、半日以上後のこと。
ずっと泣き喚いていたらしい自分が、
やっと我に返ったときに、目の前に鏡夜がいて、
ずっと自分に呼びかけて、抱きしめてくれていたこと。
『環がいなくなって……それでも、
俺がなんとか俺でいられたのは、お前がいたからだ、ハルヒ』
告白をされた日。そう、鏡夜が言っていたことを思い出す。
けれど、環の事故の日に、
まさかあの冷静な鏡夜が、記憶があやふやになるほどまで、
混乱していたということを、ハルヒは想像もしていなかった。
「藤岡様がいらっしゃったから、
鏡夜様はご自分を取り戻すことができたのです。
それだけ鏡夜様は、藤岡さまのことを大切に思っておられるのですよ」
車が、ハルヒのマンションの前に到着すると、
橘が運転席を降りて後部座席のドアを開けてくれた。
「藤岡様。これからお二人がどうなさるか、
私から何も申し上げることはできませんが……」
ハルヒが車から降りる際。
「藤岡様があの時から今まで、鏡夜様の傍に居てくださって、
本当に良かったと、それだけは申し上げておきます」
ずっと無表情を貫いていた橘は、
そう告げて、少しだけ口元に笑みを浮かべてハルヒに頭を下げて、
ハルヒがマンションの中に入って、エレベーターに乗り込むまで、
表でずっと律儀にお辞儀をしたままだった。
『環先輩に、何かあったんですか?』
エレベーターの浮遊感の中で、
ハルヒは自分のアパートに環の事故を伝えに来てくれた、
鏡夜のことを思い出していた。
『何があったんですか?』
深夜に現れた鏡夜に、ハルヒが恐る恐る尋ねると、
消え入りそうな声で、鏡夜は答えた。
『墜落した』
鏡夜はハルヒの顔をまともに見ずに、事実を告げた。
『環の乗った飛行機が墜落した。乗客の生存は、絶望的とのことだ』
そうだ、あの時の声だ。
どこかで聞いたことがあると思っていた、
先ほどの鏡夜の掠れた声。
ハルヒがついに吐き出してしまった感情に、
「気持ちは判った」と小さく呟いた彼の声。
あの日と、全く同じ。
『嘘。そんなの……嘘ですよね? 鏡夜先輩』
あの日、鏡夜の言葉が信じられずに、
思わず覗き込んだ、彼の瞳に涙は無く。
その代わりに両目が真っ赤になっていて、
今にも泣き出しそうに見えた。
先ほど自分を一人置いて、
車を降りてしまった鏡夜の顔は、怖くてよく見ていない。
でも、もしも、あの時と同じなら。
たとえ表向きは泣いていなくとも、
心の中で彼は涙を流していたのかもしれない。
『先輩は本当は自分に……先輩のことだけを愛して欲しいって、
そう思っているんじゃないんですか?』
いつかは向かい合わなければならなかったことだとしても、
もしかすると、今、言う必要は無かったのかもしれない。
『こんなに苦しい気持ちになるなら、あなたの手を取らなければ良かった』
彼は、一体自分の言葉を、どのように受け止めたのだろう?
判った……という言葉以上に、
何も言ってくれなかった鏡夜の態度を振り返るにつれ、
徐々に後悔の念だけが大きく膨らんでいく。
それでも。
一度告げてしまった言葉は、もう取り消すことなどできない。
* * *
続